立川工業の歴史と概要
工業集積の始まり
立川市の工業の歴史は、1924年の立川飛行場の開設とともに始まりました。1930年には石川島飛行機製作所(のちの立川飛行機)が立地するなど、立川市とその周辺を含めた地域は、軍需産業を中心とした当時の先端技術が集積する地域となりました。
戦後は軍需産業が禁止されましたが、優れた技術を持つ関連企業の多くは自動車関連産業などの民需産業に転換し、現在の工業集積の土台になっています。また、市北部を中心に広大な準工業地域が設定されたことなどにより、手狭な都心部での操業に制約を感じていた有力企業が広い土地を求めて立川に移転してきました。
1953年に立川商工会議所が創立すると同時に工業部会が設けられ、さらに1955年には立川金属工業協同組合(2003年に多摩工業協同組合に改称、2011年に解散)が発足し、戦後の転換期にあった立川工業が再び成長を始める足掛かりとなりました。
また、立川市内でもひときわ工業集積が進んでいた砂川地区では、1976年に立川市砂川地区工業会が発足し、連携を深めてきました。さらに同会は1998年に立川工業会に名称変更され、立川を代表する工業団体となりました。
現在の立川の工業集積は、このような経緯から生まれ、発展しました。
地域ごとの工業集積の現状
立川市内でも、とくに砂川地域は大規模な準工業地域となっています。1962年に日産自動車村山工場が立地して以降、関連産業はもちろん、そのほかの産業も含めて集積が進みました。同工場の撤退後、関連業種の多くが転出または廃業しましたが、同工場跡地周辺は依然として市内最大の工業集積地となっています。
また、市中部の立川基地跡地周辺にも、航空機産業の流れを汲む工業が集積しているほか、職住近接型の中・小規模の事業所が市内のほぼ全域に点在していることも特徴です。
近年は、多摩の交通の要衝である点を活かして、ソフトウエア産業やファブレス企業が立川駅前を中心に集積しています。
立川工業の特徴と強み
立川市には179の工業事業所があります(平成23年工業統計)。これは多摩30市町村の中で11番目の数です。1社で多くの工程をこなすことができる中規模企業や、優れた技術やノウハウを持つ研究開発型企業と基盤技術型企業、IT 企業が総合的に強みを作り出しており、さらに業種構成に偏りがないことから、さまざまな連携や新たな技術が市内で生まれる可能性を秘めています。